大判例

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東京地方裁判所 昭和46年(モ)1393号 判決 1971年3月19日

申立人 本田技研工業株式会社

被申立人 安全ホンダ販売株式会社)

主文

本件当事者間の当庁昭和四三年(ヨ)第二、九四一号仮処分申請事件について、当裁判所が同年六月二五日にした仮処分決定は、これを取り消す。

訴訟費用は被申立人の負担とする。

この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実

一  申立人訴訟代理人は、主文第一項同旨の判決ならびに仮執行の宣言を求め、その理由として次のとおり述べた。

(一)  当裁判所は、昭和四三年六月二五日、被申立人の申請にかかる当庁昭和四三年(ヨ)第二、九四一号仮処分申請事件について、次のような内容の仮処分命令を発した。

「債務者(本件申立人、以下同じ。)は、債権者(本件被申立人、以下同じ。)より、日本国内において販売するホンダエンジン付セルプラポンプに使用する特別仕様エンジンにつき四五日以前に五〇〇台以上の各注文を受けたときは、債権者が同代金を支払う限り遅滞なくこれらの商品を供給しなければならない。債務者は、申請外株式会社寺田ポンプ製作所に対し、右エンジンを直接に供給する等して、債権者の同申請外会社に対する右エンジンの取引を妨害してはならない。」

しかして、本件仮処分における争ある権利関係および保全の必要性は次のとおりである。すなわち、本件当事者および株式会社寺田ポンプ製作所は、昭和四一年三月二五日、三者間で、(1) 申立人は被申立人に対し、仮処分決定の主文第一項に掲げられているような内容の債務を負担すること、(2) 寺田ポンプは被申立人を通じてのみ特別仕様エンジンを購入すること、(3) 申立人は寺田ポンプに対して右特別仕様エンジンを直接納入しないこと、(4) この契約は、これを継続しがたい重大な事由が発生しないかぎり、解約しえないことを約し、爾来この契約(以下、三者契約という。)に基いて三者間の取引は平穏に続けられてきたところ、昭和四三年五月二五日に至り、申立人は何ら正当の理由がないのに右契約は解約されたと称して、被申立人に対する特別仕様エンジンの供給を停止し、寺田ポンプに直接納入するようになつた。かくて、被申立人は、右契約の存否につき争があることにより営業上著しい損害をうけ、これを避けるため、仮の地位を定める仮処分を得る必要がある。

(二)  そこで、申立人は本件仮処分につき当裁判所に起訴命令の申立(当庁昭和四三年(モ)第一四、六八七号)をし、当裁判所は、昭和四三年七月三日、命令送達の日から一四日以内に本案訴訟を提起しなければならない旨の起訴命令を発した。しかして、この命令は同月四日被申立人に送達された。

(三)  被申立人は、右起訴命令にしたがい、申立人を被告として、当裁判所に本案訴訟(当庁昭和四三年(ワ)第八、〇九〇号自動車供給等請求事件)を提起したが、それには前記仮処分決定の主文と同一内容の請求(すなわち、三者契約の履行請求)が含まれていた。

(四)  ところが、被申立人は右訴訟事件につき昭和四五年一二月二二日に開かれた準備手続期日において、前記三者契約の履行請求の訴を該契約の不履行による損害賠償請求の訴に交換的に変更した。

(五)  かくて、本件仮処分の本案訴訟は結局取り下げられたことになるから、民事訴訟法第七五六条、第七四六条第二項の規定に基き、本件仮処分の取消を求める。

二  被申立人訴訟代理人は、「本件申立を却下する。訴訟費用は申立人の負担とする。」との判決を求め、答弁として次のとおり述べた。

(一)  申立の理由(一)ないし(四)は認める。

(二)  同(五)は争う。

被申立人の訴変更後の請求は、三者契約の違反にもとづく遅延賠償の請求であつて、同契約の存在を前提とするものであり、同契約の解除を理由とする填補賠償の請求ではない。したがつて、右訴の変更の前後を問わず、少なくとも三者契約に関する部分については彼此同一性を失わないのであつて、依然として本件仮処分の本案たる性格を有するものである。

よつて、申立人の本件申立は理由がないから、却下されるべきである。

理由

一  申立の理由(一)ないし(四)の事実は当事者間に争いがない。

右事実によれば、被申立人が当初提起した三者契約の履行請求の訴はすでに取り下げられたものというべきであるから、問題は変更後の訴すなわち右三者契約の不履行による損害賠償請求の訴が本件仮処分との関係で本案訴訟といえるか否かにある。

二  ところで、起訴命令に応じて提起されるべき訴の訴訟物はどの程度保全処分の被保全権利と一致しなければならないか。この点について、緩厳両様の考え方が存在することは周知のところである。

起訴命令によつて保全処分債権者に本案訴訟の提起を迫るのは、保全訴訟の審理に際し疎明によつて暫定的にしか認定されなかつた被保全権利をば、正式に確定する手続を採らせる趣旨であることにかんがみれば、両者は厳密な意味で同一であることが望ましい。しかし、保全命令の申請自体がそもそも緊急を要する性質のものであり、しかも本案訴訟の提起に先立つて保全処分を申請する場合には、紛争の実体がいまだ不明確で混沌とした状態にあつて、その中から適確に請求原因を拾い出し、正しく被保全権利を構成することは期待すべくあまりに困難であることが少なくない。このことに思いを致せば、被保全権利と訴訟物との同一性をあくまで要求することには、やはり躊躇を感ぜざるを得ない。判例も、かかる観点から、保全処分における被保全権利と本案訴訟における訴訟物とは必ずしも全然同一たることを要せず、いやしくもその請求の基礎にして同一性を失わない限り彼此その請求の原因を異にするもあえて差し支えないものと解している。手形債権を被保全権利とする仮差押命令について、その原因関係債権の履行を請求する訴を提起し、あるいは占有回収請求権を被保全権利とする仮処分命令について、所有物返還請求権を訴訟物とする訴を提起する例などに関するかぎり、判例の右態度は十分説得的であつて、ひとまずは是認されて然るべきものである。

しかしながら、請求の基礎が同一であるかぎり常に本案訴訟としての適格を有するものというべきか否かについては、なお一考の要があろう。金銭債権を被保全権利とする仮差押命令について、これと請求の基礎を同じくする特定物引渡の訴を提起し、またこれとは逆に、特定物引渡請求権を被保全権利とする仮処分命令について、これと請求の基礎を同じくする金銭支払の訴を提起した場合、これをしも請求の基礎が同一であるとの一事をもつて、本案訴訟が提起されたとみるべきだろうか。なるほど、請求の基礎が同一である以上、被保全権利と全く同一の訴訟物に訴を変更することは可能であるが、それだけで本案訴訟というに十分であろうか。

保全処分債権者が、本案訴訟を提起さえすれば、保全処分の取消を免れて(もちろん、訴不提起を理由とする取消申立の関係において)、引き続き有利な地位を保持しうるのは、かりに被保全権利と訴訟物とが厳密な意味で同一でない場合であつても、その保全処分が訴訟物たる権利関係の保全方法としても適切であることが前提となつているからであろう。この前提を欠くかぎり、保全処分債権者が訴を提起したからといつて、同人に保全処分による有利な地位を保持させる実質的な根拠は見出しえない。これを要するに、起訴命令によつて提起された訴が本案訴訟といえるためには、被保全権利と訴訟物とがその請求の基礎を同一とすることのほかに、保全処分が訴訟物たる権利関係についても保全の作用を営みうる場合であることを要すると考える。したがつて、仮差押命令について特定物引渡の訴が、また仮処分命令(ただし、金銭仮払いの仮処分を除く。)について金銭支払の訴が、それぞれ本案訴訟となることはありえない。判例もまた、その一般的な立言にもかかわらず、これまで本案訴訟の適格を認めてきたのは右の範囲を出ないものといつて過言でない。

三  かかる見地に立つて本件を眺めれば、単に金銭の支払を求めるにすぎない変更後の訴が本件仮処分との関係で本案訴訟といえないことは、多言を用いるまでもなく明らかである。被申立人は、変更後の訴が前記三者契約の解除を前提とする填補賠償請求の訴ではないことを理由に、本案訴訟たりうる旨主張するが、正当でない。この問題に関するかぎり、解除の存否はさしたる意味をもたない。三者契約の履行請求とその不履行による損害賠償請求とは、解除の存否にかかわらず、請求の基礎は同一である。しかして、請求の基礎が同一であるかぎり常に本案訴訟としての適格を有するものとすれば、変更後の訴が前記三者契約を解除したうえでの填補賠償の請求であつても、本件仮処分との関係で本案訴訟たりうるものとしなければならないが、これは明らかに吾人の法律感覚に合致しない。

されば、申立人の本件申立は理由があるから、主文第一項記載の仮処分決定はこれを取り消すこととし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 佐久間重吉)

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